【雑記】考えの「解像度」が上がる方法|アウトプットと最近の僕に起きた変化

あきらかのこと

今朝、海外にいる友人とZOOMで意見交換をしました。
もともとは45分くらいを予定しましたが、話に花が咲き 気づいたら90分を超えてしまい..笑


そして今日
話をしながら気づいたことがいくつかありました。



1つづつ、お話します。


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言葉を紡ぎながら気づくこと

カメラ越しに話をしながら
言葉を紡ぎながら気づいたことがありました。


それは、ぼやけていた考えの「解像度がどんどん上がっていっている」ということです。




頭の中でぼんやり思い描いていること。

日常でふと感じたこと。


それらを発見した時と同じ鮮度を保ち続けるのは、ぼくにとっては難しいことでした。



また、ふわっとした状態で頭のなかで散らばることも少なくなく

気がついたら雲散霧消していることも。



きっとそれは形を留めておくという意識がなかったからなのかもしれません。




しかし「口に出す」ためには何らかの言葉を用いて、表現をする必要があります。

これは「文字にする」ときも同じですね。



この工程を「考えを加工する」とでもいいましょうか。



その際、あいまいかつぼやけたモノの「解像度が上がった」ような感覚が持てました。



質問をされて気づくこと

ぼくは普段の生活の中で「自問」をする時間を設けるようにしています。

もちろん毎日とはいきませんが、何か大きな決心をする際・月の始まりや月末などで。



しかし「自問」はあくまで質問内容も自分が考えています。

そのため(ぼくの場合は)革新的なブレイクスルー はなかなか起こせませんでした。


もちろん振り返り、自省という意味ではこれ以上ない最高の方法だと思うのですが
「新しい切り口」という観点から言うと「他者からの質問」に勝ることはないと思っています。


自分の中でわかっていた気になっていたこと、実はわかっていなかった。

「知識」としてはもっていたけど「知恵」にまで昇華できていなかった。


そんな気付きももらえました。


最近の原動力

ガラッと話が変わるのですが、「昔のぼく」と「最近のぼく」はちょっと変わった気がしています。


昔はどちらかというと「自分の夢」「掲げた目標」の実現に向け、ひた走っていて
それがある種の原動力にもなっていました。


しかし最近は
「声をかけてくれた人への感謝」だったり「見てくれている人へ報いたい」という思いが強くなり、それも原動力に加わったのです。
※なんともまぁ自意識過剰な気がしますが 笑



昔は今よりもずっと「自分が、自分が」という面が強かったのですが、今はそれが少し影を潜めていると思っていて。
(これでもね)




それもきっと

自分一人では気づけなかったことを教えてもらったり
応援されることの嬉しさを知ったり


いろんなことがきっかけになっているんだと思います。




自分のしたいこと、やりたいことをしたり
着飾りたい風に着飾ったり

そんなことを繰り広げていて

それを見てもらえることは本当に嬉しいです。


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